Column 経営者・人事向けコラム
市場の動向や
今後の採用活動に役立つ
情報などをお届けします。

【新しい働き方】海外から徳島へのUターンで第二の人生を歩む。海外で培ったビジネス・経営スキルを活かして、徳島の経営者をサポートする。

仮装でドゥブロヴニクハーフマラソンに出場し、ベストドレッサー賞を受賞

2023年より、「新しい働き方」をテーマにしたラジオ番組を「いつか徳島」がスポンサーとしてスタートしました。

パーソナリティーは、子育てと仕事の両立に悩み会社員を辞め起業家に転身。現在は徳島県神山町にご家族で移住している松坂智美さんです。

9月の第4回目のゲストとしてお越しいただいたのは、シンガポールにて日系企業の海外事業を経験され、いつか徳島を活用してUターン転職を実現し、現在3社で社外取締役やアドバイザーとして活躍されている中村翼さんです。キャリアの秘訣と、徳島で働く魅力をお聞きいたします。

放送でカットされた内容も含めて、トーク内容をご紹介しますので、ぜひご覧ください。

松坂智美:今回のゲストの中村翼さんのご紹介をいたします。4年前に、約40年ぶりに徳島にUターン転職して、地元の建設会社に経営幹部として入社しました。その後3年間勤務され、非常勤の取締役となり、不動産会社と動物医薬品メーカーと業務委託契約を締結されて、両社の社長案件を推進されているということですね。

中村翼:はい、現在三社と関わっております。

松坂智美:まさに、新しい働き方を実践されている方だと思います。中村さんは徳島にUターンをする前は、なんとシンガポールに15年間在住し、日系企業の海外事業開拓や経営業務をされていたという異色の経歴の持ち主です。

中村翼:今48歳ですので、15年間シンガポールに在住し、人生の1/3を海外で過ごしました。

松坂智美:本日はそんな中村さんに、都心部から地方へUターンする中でのキャリアの築き方や、実践されている新しい働き方、そして徳島で暮らす魅力などをお話しいただければと思っています。今回も、いつか徳島運営のムツビエージェントの中西昌子社長よりご紹介を頂きました。お二人の出会いは、いつか徳島の登録者と運営側ということでしょうか。

中西昌子:はい、そうですね。
さっき仰ってたようにシンガポールにいらっしゃるときに、いつか徳島にご登録を頂き、私がキャリアアドバイザーとして、中村さんのご担当させて頂きました。

松坂智美:そうなのですね。中村さんにどんな印象をお持ちでしたか?

中西昌子:すごくバイタリティがある方で、マラソンのことも履歴書、職務経歴書に書いてくださったのですが、何時間台でしたか?

中村翼:ベストは、2時間54分です。

松坂智美:えーすごい!プロレベル!

ドゥブロヴニクハーフマラソン(ドゥブロヴニクはクロアチア共和国の都市)に参加

中西昌子:当時は、中村さんはシンガポール在住で、経営業務の経験もお持ちで、海外経験も豊富で、英語力もネイティブレベル。仕事の経験や経歴はもちろん、英語も喋れて、体力もある、すごいバイタリティがある方だと思っていました。そういった方って、徳島になかなか帰りたいって思わないのかなと思うのですが、せっかく徳島に帰るのであれば、徳島のためにも頑張りたい、貢献したいと強く仰ってくださる稀有な方だったので、徳島で活躍できる場所を見つけたいと思いました。

すごくいい人だな、ぜひ帰ってきてもらいたいと思うけれど、一方で徳島の転職市場では、ハイスペックすぎて中村さんに合致するポジションでの募集が少ないという現状もありました。中村さんが働けるような会社が徳島県には少ないかもしれませんが、絶対帰ってきてほしいという思いから、一緒に頑張っていきましょうと、サポートをいたしました。

松坂智美:中村さんはUターン転職を目指す中、当時はどのような軸で転職活動をしていましたか?

中村翼:私は帰郷の理由が、家庭の事情、家族の事情でした。どういった働き方をしたいかではなくて、まずは徳島に帰ることが最優先でした。いろんな転職エージェントさんがいる中で、徳島に特化している、Uターンというキーワードで探していった中で、徳島県へのUターン転職に強い「いつか徳島」に登録し、転職活動をすることがベストだと考えました。「いつか徳島」、そのままですね。いつか徳島というかすぐに徳島でした(笑)。そういった流れで登録したのが、ムツビエージェントさんでした。

これまでずっと15年間海外事業に関わっていたので、当然そこが私のキャリアであり、海外の事業に関われる会社があったらいいなと思い、徳島で転職先を探していました。しかし、自分のキャリアを活かせる海外事業を展開している企業が徳島県には少なく、当初の希望である海外事業に関わるということは困難と判断しました。

そこで、自分のやりたいことだけを押し通すのではなく、まずは自分が徳島に合わせ、徳島で求められていることをやり、その中で自分が仕事の幅を逆に広げていけばいいかなと思いました。そして、まずは徳島で働くことを優先して、海外事業は一旦諦めるということで転職しました。

松坂智美:なるほど。中西さんも転職活動をサポートするときに、どのようなことを意識されていましたか?

中西昌子:海外業務経験が豊富だったので、海外業務のスキルを活かせる仕事を紹介したかったのですが、やはり海外展開している企業さんが少なく、マッチする求人が少ない状況でした。そして海外となると、海外で仕事をしてくださいという話になるので、それでは徳島で働けないので、ニーズが違うと感じました。

中村さんは非常にバイタリティがあり、好奇心が旺盛な方です。過去のキャリアにおいても、まったく経験のないことにチャレンジし、成功している経験がたくさんあったので、何でもやろうと思ったらできる人材だと判断していました。あともう一つは、やはり経営のお仕事をされてきて、経営視点がある方なので、経営的なポジションであれば、どんな業種でも何でもできるだろうと思っていました。業種にこだわらず、役員でしたり、経営の補佐的なポジションを探したいと考えていました。

ちょうどその時、役員候補のポジションで経営者を補佐し、経営全般を行ってもらいたい、また現場にも強い関りを持ってもらいたいという求人案件が出た際、真っ先に中村さんが頭に浮かびました。企業からお話を聞く中で、業種などよりも能力や人柄が重要という言葉を引き出し、中村さんを紹介するとトントン拍子に採用を決定していただけました。

また、徳島の人材が多くないというのも現状の問題ですが、企業は採用ターゲットを絞り込みすぎると、企業も人材の採用が困難になります。業種や経験を完全に合致する方に絞ると採用のチャンスが少なくなってしまうので、企業にも求める人材の要件を広げていただくことを意識しています。

そして、転職成功の秘訣としては。中村さんの柔軟性の高さもあったと思います。「こうでなければならない」と自分の条件を固定化するのではなく、徳島の市場を肌身で感じ、転職の戦略を変え続ける中で、自分の強みを生かせたと思います。企業サイドにも働きかける、人材にも、今までの経験にこだわりすぎないようにいただくという、双方への働きかけというのがすごく大切であると思います。

松坂智美:潜在的なニーズを企業さんから引き出して、うまくマッチングを果たしたという点もありますね。中村さんは徳島の企業に転職する際に、入社される前に現職の業務を継続的に行える形はとれないかと、中西さんに相談されたそうですね?

中村翼:はいそうですね。前職の海外事業に関わっている社員が全体で数百人いる中で、海外事業をごく少人数で進めていました。駐在員が実質的に私1人だけだったので、どうしても私でなければできないという業務が多々ありました。色々と業務を引き継いではいたのですが、いざ全くいなくなると回らない部分も、特に人材のネットワーク、私が持ってきたこれまで作ってきたネットワークというのは、ただ単に紹介すれば済む話ではありません。

ですから、かなりの期間をかけてフォローしないといけませんでした。そういった点ですぐにシンガポールから去られても前職も困る、では徳島からやらしてもらえませんかと、私のニーズと前職の会社のニーズがマッチして、業務委託でやることになりました。現職にお願いをして、業務時間外に支障が出ない形で、いわゆる副業として前職の仕事を継続するという形をとりました。

松坂智美:当時は、副業解禁前だったので、その交渉は難しかったのではないでしょうか?

中西昌子:そうですね。副業解禁前だったので、そういうことをおっしゃる求職者の方って多分初めてだったのではないかと思います。副業したいですとだけ言われると、おそらくイエスって企業さんも言いにくいと思います。しかし、入社する企業の就業時間中はもちろん仕事をし、残業もする、それ以外の時間でしっかりやる、ということをお伝えし、入社する企業さんへの不安感をなくすような提案を中村さんは企業にも私にもしていました。

もちろん、どなたでも交渉すればなんでも許可を得られるというわけではありませんが、タイミングや伝え方なども大切にしながら交渉を進めました。提案するタイミングもちょうどいいタイミングで、絶対中村さんを採用するぞというのが決まってからなので、すごく交渉しやすかったと思います。

日本人は、言いたいことが言えなかったり、逆にストレートに要望を伝えすぎたりとうまく物事を進めることが苦手だと思いますが、中村さんは私に伝えるタイミングも見計らっていたと思います。どのような情報を伝えるとその交渉が成立するかもご自身でしっかりとお考えになられていたと思います。やはり海外で長く交渉をされているので、交渉が非常に上手です。

何でも自分の意見を通したい、好きなようにやらせて欲しいではなく、当然入社する会社でしっかりできるということを示して、実践していくという点が副業をゲットするポイントでもあると思います。

松坂智美:副業として行った業務はどのような内容なのでしょうか?

中村翼:退職した前社と業務委託契約を締結し、徳島の自宅からメールや電話を使って、シンガポール、ベトナム、カンボジアにおける建設業や人材関連事業、M&A事業をサポートしていました。

松坂智美:前職のつながりが残っているのは、安心感がありますよね。

中村翼:徳島にいながら、2、3日に一度は海外とやり取りしていました。社員ではありませんが、徳島から海外事業に関われるということを自ら実証でき、英語のレベル維持にも役立ちました。

松坂智美:しかし、シンガポールを拠点とし、アジアを各国で仕事をしていた中で、実際に徳島に移り住むという考えや決断はなかなか難しかったのではないかと思いました。
では、実際に徳島で暮らしてみて理解できた徳島の魅力をぜひ教えてください。

中村翼:そうですね。アジアを飛び回る仕事にやりがいを感じる一方で、家族の事情もあり「いつか徳島」という思いが強くなっていたのは事実です。徳島の魅力については、正直生まれてからたった3年しか過ごしていなかったので、あまり覚えていませんでした。昔住んでいた松茂の辺りぐらいしか覚えていなかったので、40年経って戻ってきて正直なところ魅力っていうのはないのかな?と思っていたのが事実です。しかし、生まれ故郷に戻りもっと故郷を知りたい、仕事だけでなく何か面白いことを見つけたいと考えていました。

実際、シンガポールという世界でもかなり発展しているといわれる国から帰郷し、特に徳島駅前など、想像以上の衰退を目の当たりにし、悲しくなったのは事実です。一地方都市に戻ってきて、正直前職のメンバーから「お前耐えられるのか?」と言われました。

しかし、実家に住んでみて、家から徒歩圏内に山も川も海もあり、ジョギングやトレイルをするには最高の立地だと思いました。吉野川もある、眉山もある、それから海も近い。朝、眉山山頂まで走って登ってから出勤、夕方帰宅してからサンライズ大橋までランニング、庭にドッグランを造ったり、夕食は庭で採れたトマトを食べたりと、仕事以外も非常に満喫しています。ジョギング、それからトレイルが好きなので、こういう自然を使いながら仕事だけじゃない人生っていうのも一つあるかなと思って、そこに魅力は感じています。

大歩危国見山スカイトレイルに参加。地元・徳島の自然も楽しむ。

仕事に関しては、これまでの経験やネットワークを活かせば、徳島にいながら海外や県外の事業に関わり続けることができます。様々な業種を経験し、異業種や国籍の異なる友人・知人を作り、多民族国家で15年も生活したことが活かせています。

徳島県は人口流出と市場縮小は避けられませんが、海外を含めて県外で儲けて税金を徳島県に還流させ、一つでも良いので、他県に海外に誇れる、他県より、あるいは海外より輝いている徳島作りに貢献したいと考えています。

松坂智美:中西さん、こういう方がいてくださるとすごく嬉しいですよね。

中西昌子:そうですね、中村さんご自身も徳島にいると言っても、シンガポールや東京に行くなど、すごく活動的にされています。今は、2拠点居住とか当たり前になってきていると思うので、徳島を一つの落ち着く環境の一つとして、色々なところに行くという生き方もすごくいいのかなと、見ていて思っています。

また、徳島のためにと思い、行動できる人を一人でも増えることが大きな力になっていくと思います。私たちもいつか徳島を通して、徳島への転職や居住・移住の機会を作りたいと思います。

週末は妻と自宅の敷地でバトミントンを楽しむ

松坂智美:ありがとうございます。徳島で働くことにとても可能性があるということを感じ、自信が持ててきました。

松坂智美:改めて、私から中村翼さんのプロフィールをご紹介いたします。徳島県で生まれて3年過ごし、中学校卒業までは親の仕事の都合で引っ越しを繰り返し、関東と関西を行き来していたそうです。神戸大学を卒業後、新卒入社は千葉県のCOOP(生協)の保険部門に配属。5年経た後に、社内公募でCOOPの国際組織のシンガポール事務所に出向となりました。主に東南・南アジアでCOOPの立ち上げを手がけたそうです。

3年の任期終了で、帰国する予定でしたが、急速に成長を続けるアジアで働くこと魅了され、シンガポールの日系企業の現地法人の不動産デベロッパーへ転職されました。しかし、リーマンショックで倒産し、2社目の住宅メーカーでは不動産投資に関わりました。3社目はインフラ系の建設会社でしたが、全く異業種と経営統合し、国境を越えるクロスボーダーのその人材事業や企業買収にも関わり、かなりキャリアが広がっていきました。シンガポールで過ごした15年間っていうのはアジアと海外事業を開拓するっていう切り口で、めまぐるしく業種が、変わっていろんなことを経験された社会人人生の前半戦となったようです。

中村翼:はい、その通りです。

松坂智美:そして、今から4年前にご家庭の事情で、約40年ぶりに徳島にいつか徳島を通じてUターン転職しました。そして、地元の建設会社で3年働いた後に、非常勤の取締役に昇格し、現在は別の不動産会社と動物医薬品メーカーとの業務委託契約を締結し、社長案件を推進中です。

同時にスタートアップ企業への少額投資を始め、現在は投資先の事業において自身の海外経験やネットワークを生かせるようなハンズオン支援を模索されています。

すごく盛りだくさんなキャリアで聞きたいことがたくさんありますが、まずは、今は正社員としては働かれていないということですよね?

中村翼:はい、そうですね。3年は正社員でしたが、現在は社外取締役になりましたので社員ではありません。それから2社と、業務委託契約を結ばせてもらっています。現在は、3つの会社に関わり、経営全般や海外事業、そして社員がやらないことや気づかないこと、部署横断の業務を行っています。社外にいるからこそできる仕事かと思います。そして、社員ではないながらも、会社へ行き、社員のように働いています。

松坂智美:特に、徳島の企業での社外取締役や社長直下の重要案件を担当されているとのことですが、特に中村さんが経営者から期待されていることや、重要業務として行っていることを教えてください。

中村翼:たまたまかもしれませんが、今関わっている会社を含め、中小企業で、自分の年齢と近い2代目の社長と仕事をする機会が多くあり、それぞれ色々な悩みを抱えていると思いました。創業者が結構偉大であると、創業者が作った会社・事業を拡大させなければならないといった大きなプレッシャーを抱えながら仕事しています。

また、創業者と同じことをしたくないけれど、冒険しすぎて失敗すると叩かれますので、そういう悩みを抱えながら働いています。しかし、2代目社長はこういった葛藤、悩みっていうのは社員に相談することはできません。かといって創業者の父などに相談することもできないので、こういう方々に私のような存在は、結構ニーズがあるのではないかと思っています。

具体的には、2代目の社長が何か決断しないといけないときに、最後の決断をするための判断材料や、決断するためのもうひと押しを誰かに求めているようにも感じます。そんなとき、複数の業種で事業の立上げやマネジメントを経験し、かつ非常勤や業務委託という社外の立場である私の存在が活用できると思います。そこにニーズがあるのかなと思っています。

ただし、一つ気をつけなければならないのは、地方の中小企業の経営者が求めているのは、月1回だけ取締役会に出席しコメントするような存在ではありません。経営者や社員とともに汗をかき、また経営者や社員が手を付けられていない業務や考えを実行できる存在が求められていると思います。

松坂智美:経営者とともに汗をかき、社員と一緒に行動できる人材を求めているというのが、徳島の企業らしさに感じます。中西さんいかがですか?

中西昌子:そうですね。経営者の仕事は、やはり判断するというところだと思います。判断に迷ったときに、経営能力がある、経営経験がある方に判断を求めるというか、判断材料をいただきたいというところがあります。本当に大きな企業になればその経営者が全て判断する必要はないと思いますが、やはり中小企業になると、どんな営業部門であれ、管理部門であれ技術の部門であれ、経営者が最終判断するということになってきますので、そういう意味では不安になりやすいこともあると思います。

そして、徳島の企業で100億の売上を超える企業は35社、1000億を超える企業は2社となりますので、多くの企業は中小企業ないしは、中小零細企業にあたります。そういう意味でも、経営戦略が現場とも直結しているため、社長と一緒に考えて汗を流し、一緒に判断材料を持ちながら考えていくという役割はすごくニーズがあるのではないかと私も思います。そして、社員と一緒に行動し、計画の立案だけでなく、計画が実行できるようにサポートができる方が求められていると感じます。

松坂智美:徳島で社外取締役や経営幹部のニーズはありそうでしょうか?

中村翼:いや正直なところあるとは言えません。

中西昌子:潜在ニーズですよね。

松坂智美:顕在ニーズじゃなくて潜在ニーズなのですね。

中西昌子:おそらく言われてみれば、いたらありがたいけど、今の課題、経営者のお困り感が、社外取締役で解決するっていうアンサーにはまだなっていないかなと思います。しかし、潜在的なニーズはあるので、そこに答えられる人材も必要であるし、そういった外部人材との関わり方があるということや、どのような成功事例があるかなども伝える必要があると感じます。

中村翼:そうですね。私もやってみて気付いた話です。たまたま今3社関わって、うち2社が徳島の企業で話を聞くと、創業者から引き継いだ2代目にこういったニーズがあるのではないかというのを感じているところなので、おそらく他の会社もそうではないかなと思っています。

松坂智美:なるほど。中西さんもそう思われますか?

中西昌子:そうですね。これから人材会社としてはそういうニーズをしっかりと開拓していって、徳島の企業経営が、経営者がよりよい経営ができるような人材のご紹介なんかができればいいなと思っています。

中村翼:終身雇用から働く会社を選ぶ転職が当たり前の時代になって、コロナによって働く場所も選べるようになり、副業を推奨する会社も出てきたので、複数の会社と社外取締役や業務委託で関わることは特殊だとは思えません。関わっている企業間で利益相反が起きないように注意し、秘密保持を守れば、例えばA社での関わりをB社での関わりに活用することもできます。

働き方や関わり方の自由度が増し、選択肢が増えることは、経営者にとっても働く側にとってもプラスになります。また、私のような関わり方をしている人材が社内に30%くらいいると組織も活性化され収益力増に繋がると思います。

中西昌子:その通りですね。営業会社なら営業のスペシャリスト、技術の会社であればその技術のスペシャリストを採用し、育成していると思います。しかし、専門スキル、特殊スキル、経営スキルを持つ人材は社内での登用は難しいと思います。そこで、外部人材に頼ることで、本業を伸ばしていけると思います。また、副業や業務委託、社外取締役などでの雇用であれば企業としてはコストを抑えられるというメリットもあります

松坂智美:中村さんのような専門性を生かして多角的に地元企業に貢献する人材を目指したい方もいらっしゃるかと思います。どういうキャリアを積んでいけば中村さんのような働き方を目指せますか?

中村翼:目指すのはなかなか難しいのですが、私の経験から話すと、一つの会社でも同じ部署にずっといて専門性を身に付けるよりは、複数の部門で、ジョブローテーション経験すること、そしてチャンスがあれば海外勤務を経験することです。

可能であれば、転職する、チャンスがあったら、海外勤務に自ら手を上げてください。すると、今まで自分いた部署、会社とは違うものが見えて、今までいた会社や部門、あるいは住んでいた国がどんな働き方をしているのか、客観的に見られるようになります。新しい会社、新しい土地、新しい国で、多様な働き方、生き方を見聞きし、これまでの自分の働き方や日本の働き方、習慣を客観視、あるいは比較することだと思います。

そうすることで、実際に社外取締役になれるかどうかは別として、私のような働き方をできる可能性はあります。

また、私が社会人になって6年目の2005年7月、赴任先のシンガポールの生協の人材開発担当ジュリアナさんから、シンガポール人の仕事について話を聞く機会がありました。「シンガポール人は人生のうちで7~8社経験する。うち1~2社は倒産や起業した会社が上手くいかず畳むケース。大学で学び直すケースもあれば、キャリアプランを練り直すために数ヶ月間仕事しないこともある。それがシンガポール的人生」とおっしゃっていました。これに倣ったわけではありませんが、気づけば自分の人生も、それに近いものになりつつあります。

一社で働き続け定年を迎えるのではなく、複数回転職すること、起業すること、社員ではない立場で関わること等、働く側だけでなく、採用・契約する会社側も複数の選択肢を持つことで、双方に柔軟な発想が生まれます。そうすることで、対等な立場が成立し、労働市場も活性化すると考えています。

松坂智美:中西さんはどう思われますか?

中西昌子:そうですね。目指すというよりかは、結果的にそうなったという形なのかなと思います。経営者に近い立場でやるということは、それだけの能力は絶対に必要になります。例えば営業でスタートするのであればそこを極めていく中で、違うチャンスが訪れてきて、またそこを極めてといった形で複数のスキルが重なり合う中で市場価値が高まってきます。一つのスキルを卓越の領域まで極めつつ、得意分野だと言い切れる複数のスキルを磨き、マルチスキルを持つことは転職市場で高く評価されるのではないでしょうか。

ですから、自分のキャリアを磨くために複数社を経験することは良いことだと思います。また、キャリアプランを練り直すために数ヶ月間仕事しないこともあるというシンガポール流は、勉強になりましたね。

人生において最も大切なことの一つのキャリアですが、間を空けてしまうと転職がしにくいと考えがちです。企業にどのようにみられるかということも意識しなければなりませんが、自分自身のキャリアに真剣に向き合う期間があっても良いと思います。また、そのように自分のキャリアを客観視し、また戦略的に考えることで、新しい働き方にもつながっていくのかもしれません。

そういった中で経営的な業務も任されるようになる、というところなので、副業がしたい、最初から社外取締役になりたいというよりは、目の前にある自分のやるべき仕事をしっかりとやる、そこで成果を出していくということの繰り返しであると思います。

松坂智美:なるほど。非常に貴重なお話を聞かせていただいてありがとうございました。本番組では、引き続き新しい働き方を実践する方を紹介していきます。
中村さん、中西さん本日はありがとうございました。

中村・中西:ありがとうございました。

ラジオへのご出演ありがとうございました。

このコラムを
読んでいる人に
おすすめです